景勝の地「東武・日光霧降高原別荘地」が広がる日光は、太古の時代より信仰の対象として崇められ、
自然と渾然一体となった独自の歴史文化を築いてきた場所です。ここから地の真価に迫ります。
東京からほど近い距離に位置する日光・霧降。そこには今しがた囲まれていた喧騒に溢れる都会の生活からはとても想像しがたい別世界が広がっています。
澄み渡る空に、夏でも涼やかさを感じる凛とした空気。神秘的な威厳を放つ杉林。日光東照宮をはじめとする由緒ある寺社の存在に覚える悠久の歴史ロマン。これほどに美しく高い文化性をもちあわせた地のリゾートは他に類をみません。そんな地の歴史と自然を知っていただくことで、この至上稀なるリゾートの真価を皆様にご理解していただけるものと確信します。
日光は山岳信仰の聖地としてはじまり、古より深い歴史の刻まれた地です。江戸時代、徳川家により建立された日光東照宮をはじめとする寺社は日本文化を代表する地の威光を放ち、また明治においては、諸外国の要人により、高級リゾート地としての価値を見出されるなど、その歴史の趣深さには他に類をみない豊かさが伝わります。
日光の歴史は奈良時代、勝道上人が開山し、山岳信仰の地として切り開かれたことによりはじまったと言われています。ここでは、宗教と自然が深く結びついた独自の文化が築かれ、神仏習合による信仰の拠点として隆盛を極めていきました。
戦国時代を経て、江戸時代には天海大僧正が日光を再興し、徳川家康公の遺言にのっとり江戸文化の粋を集めた日本随一の寺社「日光東照宮」が建立されました。
日光の歴史において特筆すべき点は、明治時代、外交官、学識者などの外国人により景勝地としてまた避暑地としての価値が見出され、リゾート地開発が盛んに行われたことがあります。大正天皇の御用邸も建造されるなど、選ばれた人々が集まる高級リゾート地としてのステータスを確立したのがこの頃だと言えます。別荘建築には時代の文化が開花し、和洋折衷様式の魅力的な建築を今も見ることができます。イタリア大使館別荘は代表的建築物です。
日光は明治期以降、近代化の波を受け、観光地として活気づく一方で、霊場としての威光を徐々に弱めていきました。現在も山岳登山、リゾート地としての賑わいをみせる中、地の文化を象徴する日光東照宮が世界文化遺産の登録に至り、この地域の文化的位置づけは国際レベルで広く見直されたと言えます。「地」のステータスは日光の歴史文化の威光を受け、今後もより高い価値を創出します。
山岳信仰を生み、独自の文化を育んできた日光そして霧降高原の自然。そこには、今も凛として神秘感の漂う特別な空気を感じさせてくれる世界が広がっています。そんな自然の中で四季折々の表情の豊かさや、散策に訪れたい数々の景勝スポットが身近にあり、そんな地で暮らすことで、本物の豊かさと、喜びを味わうことができます。
日光連山は、男体山、女峯山、太郎山の三山を主に指して言い、山岳信仰の聖地として崇められてきました。男体山は二荒山とも呼ばれ、二荒を音読みしたものが日光とも言われています。これらの地一帯は手付かずの自然が多くのこり、この地ならではの表情が見られます。中でも秋の紅葉は関東随一の景観として多くの観光客が訪れます。
深緑が眩く映える春、やさしげな風と光に身をつつまれる夏の日差し、類をみない華麗さを誇る紅葉、厳粛なる地の気配を感じる冬山、日光の風景が常に美しく映え、来るものを飽きさせない理由。それは季節がそれぞれの姿を究極に際立たせてくれるからです。なかでも日光の紅葉は日本随一の風景美を誇っており、「地」の風景にも彩りの感動が溢れ出します。
日光は明治期以降、近代化の波を受け、観光地として活気づく一方で、霊場としての威光を徐々に弱めていきました。現在も山岳登山、リゾート地としての賑わいをみせる中、地の文化を象徴する日光東照宮が世界文化遺産の登録に至り、この地域の文化的位置づけは国際レベルで広く見直されたと言えます。「地」のステータスは日光の歴史文化の威光を受け、今後もより高い価値を創出します。
霧降高原は日光連山の東端に広がる標高1000メートルを越える高原地帯にあり、四季を通じて自然を楽しむ環境に恵まれた一帯です。春には色とりどりのツツジが咲き、ニッコウキスゲが初夏の高原を覆い、秋の紅葉は筆舌に尽くしがたい美しさで圧倒され、冬はスキーに興じるなどレジャー、観光共に充実しています。また「地」から日光市内まで5分で移動できる距離にあり、日光全域を楽しむことができる最高の立地環境にあります。
東武建設 栃木県日光市大桑町138番地
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